同じ冗談を、違うところで聞く
いけずの話を面白い言葉の技と受け取る人もいれば、出身地で人を判断する冗談と受け取る人もいます。どちらが正しいかを決める前に、何に反応しているのかを見てみます。
2024年3月4日の京都新聞の記事には、その違いが表れています。ここで扱うのは公開された1ページ目までです。見出しにある大西里枝さんの有料インタビュー部分を読んだものとしては扱いません。
出身地を伝えたあとの距離
記事には、京都市内で暮らし、北海道へ移った40代女性の声が載っています。いけずが意地悪や裏表のある性格というイメージで広まることに、不快感を覚えたという声です。京都出身と伝えると相手が言葉を続けられなくなった経験も語っています。前日にテレビでいけずが取り上げられていたそうです。
これは京都出身者全員の経験を示すものではありません。ただ、冗談を向けられる側には、自分の言葉や行動を見てもらう前に評価される瞬間があり得ます。冗談の題材との距離は、その題材によって分類される人にとっても同じとは限りません。
言葉を扱う技術という見方
同じ記事で著者の大淵幸治さんは、いけずを単なる意地悪よりも、相手の心を読み、やり取りを導いたりなだめたりする言語技術として説明しています。これは記事に登場する人の見解です。京都の人全員の話し方を定義する辞書の項目には置き換えられません。
記事で紹介されるポスト用ステッカーにも、この隔たりが見えます。丁寧な表の言葉と、ずっと荒い本音を表裏に配した商品です。買い手は誇張を楽しめる一方、声を寄せた女性は、こうした商品が固定されたイメージを強めないかと心配していました。面白い商品であることと、そのイメージが不快だという反応は、同時に存在します。
クイズで出身地を手がかりにできるか
親切に聞こえる台詞だからといって、意図まで好意的だとは限りません。では、京都出身という設定だけで皮肉を正解にしてよいでしょうか。それでは場面を読む代わりに、固定観念を覚える問題になります。
KYOTOEICで比べたいのは、発言のあとに必要になる行動です。時刻を決めたのか、頼み事の範囲を狭めたのか、相手は何を指しているのか。場面に書かれていない気持ちを出身地だけで補うと、もっともらしい解釈が根拠のない断定に変わります。
いけずへの評価を一つに決めるより、話し手が込めた意味と聞き手が受けた印象を分けて読むほうが、この記事にある異なる声を残せます。
参考資料
- 「京都人はいけず」ってホンマ? — 京都新聞 · 2024-03-04 · 確認日:
この記事の変更履歴
- — AI確認:根拠の範囲に合わせて再編集し、未確認の体験談の記入欄を除きました。